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大発表です!

久しぶりの投稿になりますが、いきなり大発表です。 6月15日に、国立市立公民館で僕のネパールでの体験についての講演会を行うことになりました。 日本での活動の第一歩です。 皆さん、是非見にきてください!

腸チフスに感染して思ったこと

ついに僕は日本に帰国した。2年間の外国での生活が終わってしまったのだ。時が経つのは早く、タイとネパールで過ごした2年間はあっという間だった。ネパールではものすごく不便な生活をしていたが、それでも最高に楽しかった。しかし、ネパールでの最後の1ヶ月は、いくつかの日本の大学団体のスタディツアーをお手伝いするために山岳地帯の村に滞在する時間が多くかなり忙しかった。僕が滞在していた村は、衛生面で言えば「最悪」に近いような場所だ。僕はその村の人々と村の雰囲気がとても気に入り、毎月のようにその村を訪れていた。 そんな僕が異変を感じたのは、大学生と一緒にある村に着いた次の日。夜中に何度も嘔吐し、翌日には下痢や激しい頭痛。その時は自分が食中毒にかかっているのだと思っていた。もしそうだとしたら、1週間程治らないかもしれない。でも、その予測は外れたようだ。その翌日にはケロッと元気になってしまったのだ。よく分からなかったが、元気になったので何も気にしていなかった。 しかし、どうやらその時にはすでに、ある悪いばい菌が僕の体内で活躍し始めていたらしい。ただ、僕にはそんなことは知る術もなく毎日熱心に活動に取り組んでいた。 1週間後、僕は大学生の皆さんと一緒にポカラという僕が住んでいた大きな街に行き、数日間観光を楽しんだ。しかし、その時僕は毎日のように頭痛に襲われていた。歩くことが出来ない程激しい頭痛ではなかったが、毎日のように襲ってくる頭痛に僕は悩まされていた。 結局そのまま僕は日本に帰国した。帰国後も止まらない頭痛。そして帰国した2日目には寒気までしてきた。そんな様子を見た将来医者になりたい僕の弟が、突然「熱を計ったほうがよい」と言うので計ってみると、38・6度もありあわてた。さすが医者になりたいだけある。僕はこれまで38・6度の熱なんて出したことはほとんどなかったので驚いたが、でも特に辛くもなかったので、薬屋で薬を買ってその日は寝た。 翌日になっても熱は下がらなかった。というよりも上がっていった。夜には40度まで熱は上がったが、それでも辛くなかったので気にしないで、ただ寝ていた。 次の日、僕は母と小金井にある病院に行った(帰国後数日は自宅で準備ができていなかったため、国分寺駅前のホテルに泊まっていた)。ネパールからの帰国直後ということもあり心配され様々な検査を...

AAEEスタディーツアーを手伝って考えたこと

 二月下旬、日本から五人の大学生がネパールにやってきた。彼らがネパールまでやってきたのは、AAEEのスタディーツアーに参加するためだ。 AAEEとは、 Asia Association of Education And Exchange の略。これは僕の父が創設した、アジアの教育や学生交流について研究を行うグループである。 このAAEEが行ったスタディーツアーに僕は日本語とネパール語の通訳として同行した。今回のブログではそこで得た素晴らしい経験について記したいと思う。 今回のスタディーツアーでの僕の正式な任務は通訳であるが、実際には出来ることなら何でもするように言われていた。例えば、日本の学生が現地のネパール人に何か伝えることがあるときに、僕が日本語からネパール語に訳して伝える、これは通訳としての正式な仕事であるが、他にも荷物運び、買出し、送迎、食事の手配など、とにかく出来ることは何でもやるのだ。 今回のスタディーツアーの大きな特徴は、日本の大学生五名ととネパールの大学生五名が一週間共に過ごし、英語のみで交流しながら友好を深め、お互いの生活習慣や文化を理解するということにある。とにかく最初から最後まで日本人やネパール人同士で固まることは出来ない仕組みになっている。さらにプログラムをサポートするためにAAEEのスタッフ(僕のその一人)を始め数多くのネパール人が協力してくださり、非常に内容の濃い交流イベント。普段の生活で英語や外国人に接していない日本人には少し荷が重過ぎると、正直思ったほどだ。 日本とネパールという庶民レベルでは相互理解のほとんどない国の大学生同士が一週間という期間、ずっと共に生活をするというプログラムはとても珍しいと思う(少なくとも僕は聞いたことがない)。さらに一緒にネパール山岳部の村にも行き、村人の生活を一緒に体験する。今回参加してもらったネパールの大学生たちは皆、外国の大学生と一緒に生活体験をするのは初めてのことらしく、プログラムを楽しみにしており、準備段階から興奮気味であった。 このスタディーツアーではプログラム開始前から参加者全員がネット上で交流しながらあることに取り組んだ。具体的には、ネパールの参加学生と作詞し、日本の参加学生が共同でプログラムの主題歌を作詞、作曲し歌う練習をするのだ。音楽や英語の得意な学生たち...

パルパ 調査旅行

   僕がネパールに来てから十回以上は滞在したであろうマイダン村。初めてあの村に行ったときは村の学校で盛大に歓迎パレードが行ってくださったのだが、今では、遊びにいっても「おお、また来たか」という感じで、まるで僕を村人の一人のように普通に接してくれる。  その村に行くためには僕の住んでいるポカラから、ローカルバスで六時間走ったところにあるタンセンという街に行き、そこからジープに乗り換えドリマラ村まで二時間ほど走る。そこから一時間歩いてようやく到着する。一日で辿り着くことは不可能ではないがかなりきつい。だから今までは、タンセンで一泊し翌朝にマイダン村に向かっていた。しかし今回は時間がない。急を要するので一刻も早くマイダン村に到着する必要があった。  今回僕がマイダン村に行ったのは、今までのように遊びに行ったわけではない、「調査」をしに行ったのだ。  僕の父のところにある日本の大学生グループから連絡が来たのは一ヶ月前。ネパールでワークキャンプをするから村を案内してほしいという依頼だった。このグループの皆さんは、今までも毎年ネパールを訪れており、その度にパルパ県の一つの村を支援してきた。今年もネパールに来て支援したいというのだが、今回、どの村で何を支援したらいいか迷っているのだと言う。  父は僕に相談した。その内容は思いがけないものだった。そのグループがネパールに到着する前にどこの村に行くかを決め、支援する内容を村人たちと話し合い、支援するに当たって必要なものを全て手配してほしい。そして、そのグループが到着したら村まで案内し、通訳としてみなさんのサポートをしてほしいということだ。なぜこの仕事を父が僕に頼んだのかというと、僕がネパール語を話すことができ、また、パルパ県のこともよく知っていて村人との交流も慣れており、さらにパルパ県を長年支援しているOKバジの支援活動も見ているからだとのこと。  父にそのことを僕に伝えられたとき、僕は一度は断った。理由はただ一つ。そのグループの皆さんがネパールを訪れるときにはタイに行く予定になっていたからだ。僕は以前一年間タイに住んでいて、大好きな国のひとつである。久しぶりにタイに行けることをものすごく楽しみにしていた。  しかし数日間考えた後、僕はタイに行かずに、この仕事を受け入れるようと決意した。理由は単純で、僕に出来ることがあるならやはり...

バングラデシュで考えたこと

             「バングラデシュで考えたこと」                                                                       関愛生   バングラデシュと聞いて、皆さんは何を想像するだろうか。しばらく考えても「貧しい国」ということ以外には、何も思い浮かばない人がほとんどではないだろうか。少なくとも、僕はバングラデシュを訪れる前まではこの国について何ひとつ知らなかった。一つだけ、北海道ほどの面積に一億人が暮らしているということだけは、インターネットから情報を得ていた。  僕がバングラデシュに行くことになったのは父の提案によるものだ。、元々仕事の関係でバングラデシュを何度か訪れていた父の話を聞いて、以前から行きたいと思っていた国ではあったのだが、まさか本当に行けるとは夢にも思わなかった。  二週間バングラデシュに滞在することが決まったときはとても嬉しかった。今回も一人旅だ。一人旅とは言っても、空港に父と一緒に活動をしている大学生達が待っていてくれて、滞在先も彼らの家だ。父は、「ダッカでは一人で行動するのは無理だ」と言っていたが、その意味を空港から出た瞬間にすぐに理解出来た。あまりの人の多さに圧倒されてしまった。  右も左も分からなくなってしまっていた僕に、「YOSHIKI」という紙を持った若者が声をかけてきてくれた。どうやら彼が父の知人の大学生のようだ。彼の名前はナシム。彼はバングラデシュの最難関の理系大学の修士課程で学んでいる。もう一人、少し離れた場所で待っていてくれた彼はファイサル。彼はバングラデシュの東大とも言われるダッカ大学の修士課程で学んでいる。  彼らと一緒に空港を出たのだが、何だかかなり騒がしい。それと同時に明らかに異様な雰囲気を感じた。パンチャビという白くて膝まで丈のあるイスラム教の衣装を身にまとった男性たちが大声で何かを叫びながら歩いていく。その姿を見た僕はニュースで見たイラクのデモ行進を思い出した。彼らは異常なほど興奮し、パワーに満ち溢れていた。その光景を見た僕までもが思わず興奮してしまった。「すごい国にやってきた!」 「今日はイスラム教徒にとってとても大事な日で、世界中の多くイスラム教徒がバングラデシュにやって来るんだ。...