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11月 29, 2011の投稿を表示しています

読売新聞社賞 受賞作品

今日、読売新聞に僕の名前が出た。 夏休みの作文コンクールのことでだ。 せっかくなので、僕の作文をブログに載せることにした。 世界と向き合って生きていく 泰日協会学校(中学部) 3 年 4 組 関愛生 ネパールの首都、カトマンズの街並みが飛行機の窓の外に見えてきた。山に囲まれた小さな都市。高層ビルは1つもなく、小さな家がぎっしりと立ち並ぶ。僕は本当にネパールに戻って来てしまった。これからここに 3 週間滞在する。今さらながら自分自身に対する驚きや不安ばかりが僕の心を覆っていた。 4 年前、家族と共にネパールに訪れた。父は大学生の研修を引率してネパールを訪れたことが何度もあり、「素晴らしい国だ」と言って勝手に旅行を計画した。当時僕は小学6年生。ネパールがどんな国かも知らず、父に言われるままに小学校の卒業式直後に旅立った。この旅行では 10 日間ほど滞在したのだが、ただただ苦しい思い出しか残っていない。まず、数日目でひどい食中毒にかかってしまった。最初に症状が出た夜、僕は安いゲストハウスに宿泊していた。急いでトイレに行こうとしたが電気がつかない。その当時ネパールでは一日十二時間は停電していたのだ。初めて宿泊するよく分からない部屋で、電気がなくてトイレの場所がわからないとどうなるか、これ以上は書きたくない。結局翌日から入院し、人生初めて点滴の針と共に何日もベッドの上で過ごした。その後山岳地帯も訪れたが、そこへ行く道のりは険しく、途中の車中で何度も嘔吐した。トイレは汚く、ごはんを手で食べることにも違和感があり、牛など動物だらけで臭くて、蜂も恐ろしいほどにたくさんいた。カトマンズでは人が火葬される場所を見学したが、大変失礼なのだが恐怖感しかなく一刻も早くその場所を離れたかった。父が僕に多様な文化を学ばせたいという気持ちがあったことは今では理解できる。しかし、当時の僕にはその気持ちを理解する心のゆとりはなく、正直に言ってネパールが嫌いになり、こんな国には二度と来ないと心に固く決めたのを覚えている。 帰国後僕は東京の中学校に入学した。そして今年の 4 月からは父の仕事の都合でタイのバンコクに住み、現地の日本人学校に通っている。学校はとても楽しい。よい友達がたくさんいて、先生方も僕のためにとても熱心に教えてくれる。僕は勉強は得意な方ではないが学校で多くのことを学んでいると...
これは、いろいろな色の粉だ。 この粉はティカという、インド人がおでこにつけている丸いものと同じようにおでこに塗るための粉だ。 この粉はバザールに行くと売っている。 ティカとはなにか僕も詳しくは分からなくて、ネットで調べてもなにも出てこない。 ※もしティカのことを知っている方がいましたら、コメントしていただけるとありがたいです。
これが何だか分かるだろうか。 これは、ポカラにある小さな川の写真を橋の上から撮ったものだ。 よく見れば分かるが、色とりどりのごみが大量に捨てられている。 ネパール人はごみをポイ捨てしてはいけないという意識はないので、どこにでもごみが捨てられてある。