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9月 2, 2012の投稿を表示しています

最高の友情

今回は僕の最高の友達の1人、カルノについて書きます。 僕と彼が出会ったのは3月、初めてこの村(マイダン村)に行ったとき。 彼は僕と同じ15歳(当時)なのに、結婚もしていて、子供も奥さんのお腹にいるという僕とは状況が全く違うが、同い年ということですぐにお互い打ち解け、いつも一緒にいた。 その村は、標高2000メートル近く、年中寒い日が多い。 僕は村に行く前に買った、現地価格500円のウィンドブレーカーを着ていた。 しかし、彼はこんなに寒いのに、Tシャツに短パン。 そんな彼に僕は寒くないのかと聞くと、「寒い」と答えた。 そりゃそうだと、「長袖着てきなよ!笑」と笑いながら言うと 「長袖は持ってないんだ」と、笑ってはいたが悲しそうな目で彼は言った。 僕は色々な感情が混じり言葉も出なかった。 こんな寒いところで暮らしているのに、長袖の1枚も持ってないなんて・・・。 別れの日、僕はその500円のウィンドブレーカーを友情の印として彼にあげた。 すると彼はとても喜んで、ずっとありがとうと僕に言っていた。そして、また会うことを約束した。 それから5ヶ月、僕は彼に会うことをとても楽しみにしながらその村へと向かった。 村に着き、村人と話したりしていたのだが、いつまでたっても彼は来ない。 そこで僕はカルノはどこにいるのか聞いてみると、村人の1人が「彼はもういない。」と、悲しそうな声で言った。状況をのみこめなかった僕が詳しく聞いてみると、彼は出稼ぎでマレーシアに行ったというのだ。ネパールを出るとき、僕のあげたあのウィンドブレーカーを着て、「これは僕の親友がくれた大切なものだ。」と言って、それを着ていってくれたそうだ。 これを聞いたときの気持ちを文章にして書くのは難しい。ただ、ネパールに来てから1番悲しく、切なかったことには間違いない。 ネパールでは、収入が少なく、家族を養うために海外に出稼ぎに行くことは多い。しかも、1度出稼ぎに出ると、ネパールには数年間戻って来れないのだ。カルノも3年後までネパールには戻らないという。 同い年の彼と自分の人生の違いに、驚きを隠せなかった。 15歳で出稼ぎに出るなんて・・・。 出稼ぎで外国に行くということは想像以上にとても大変なことだ。 出稼ぎ労働者に対する給料は、驚くほどに少なく、自分たちの生活も大変なのに...