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最高の友情

今回は僕の最高の友達の1人、カルノについて書きます。

僕と彼が出会ったのは3月、初めてこの村(マイダン村)に行ったとき。
彼は僕と同じ15歳(当時)なのに、結婚もしていて、子供も奥さんのお腹にいるという僕とは状況が全く違うが、同い年ということですぐにお互い打ち解け、いつも一緒にいた。

その村は、標高2000メートル近く、年中寒い日が多い。
僕は村に行く前に買った、現地価格500円のウィンドブレーカーを着ていた。
しかし、彼はこんなに寒いのに、Tシャツに短パン。
そんな彼に僕は寒くないのかと聞くと、「寒い」と答えた。
そりゃそうだと、「長袖着てきなよ!笑」と笑いながら言うと
「長袖は持ってないんだ」と、笑ってはいたが悲しそうな目で彼は言った。
僕は色々な感情が混じり言葉も出なかった。
こんな寒いところで暮らしているのに、長袖の1枚も持ってないなんて・・・。

別れの日、僕はその500円のウィンドブレーカーを友情の印として彼にあげた。
すると彼はとても喜んで、ずっとありがとうと僕に言っていた。そして、また会うことを約束した。


それから5ヶ月、僕は彼に会うことをとても楽しみにしながらその村へと向かった。
村に着き、村人と話したりしていたのだが、いつまでたっても彼は来ない。
そこで僕はカルノはどこにいるのか聞いてみると、村人の1人が「彼はもういない。」と、悲しそうな声で言った。状況をのみこめなかった僕が詳しく聞いてみると、彼は出稼ぎでマレーシアに行ったというのだ。ネパールを出るとき、僕のあげたあのウィンドブレーカーを着て、「これは僕の親友がくれた大切なものだ。」と言って、それを着ていってくれたそうだ。
これを聞いたときの気持ちを文章にして書くのは難しい。ただ、ネパールに来てから1番悲しく、切なかったことには間違いない。
ネパールでは、収入が少なく、家族を養うために海外に出稼ぎに行くことは多い。しかも、1度出稼ぎに出ると、ネパールには数年間戻って来れないのだ。カルノも3年後までネパールには戻らないという。
同い年の彼と自分の人生の違いに、驚きを隠せなかった。
15歳で出稼ぎに出るなんて・・・。
出稼ぎで外国に行くということは想像以上にとても大変なことだ。
出稼ぎ労働者に対する給料は、驚くほどに少なく、自分たちの生活も大変なのに、さらにそのお金から家族に仕送りしなければならない。

これまで、そういうことは知ってはいたが何の現実味もなく、頭の中の片隅にあるだけだった。
しかし、同い年の彼が家族のために出稼ぎに行ったことで、このことがどれだけ深刻なことかということが少し分かった気がする。
そして、一番感じたのが、自分がありえないくらい幸せものだということ。
日本で、人生に対する不満のような言葉をよく聞くが、もう1度考え直してしてほしい。
この世には、夢を持つことができない人がたくさんいること。
夢を持つことを許されないことほど悲しいことはないと思う。


このことだけでも、日本にいる皆さんは自分がどれだけ幸せか分かると思います。

僕の最高の友人・カルノへ
君は今もマレーシアで、毎日家族のために一生懸命家具を作っていることでしょう。
僕は、なにかあったときはいつも君の事を思い出します。君の笑顔、そして君の優しさ。
僕と同い年の君のこと、君の家族のことを思うと、とても悲しくなります。
君の子供は無事生まれたそうです。君がネパールに帰るころには、もうずいぶんと大きくなっていることでしょう。
そして、僕のあげた友情の印をマレーシアまで持って行ってくれてありがとう。
僕と村人のみんな、そして君の奥さんと息子は君の帰りを待っています。
それまで、どうか体に気をつけて、元気にネパールに帰ってきてください。
次会える日のことを楽しみにしています。
                          
                                よしきより







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