<五日目~七日目>最終回
チョックラさん、ありがとうございました。 |
壮大なヒマラヤと星空の感動に浸った翌朝は、7時前にはABCを出発した。この日はなんと十時間も歩き、往路でABCに向かうときに二日かけた道のりを一日で稼いだ。ゲストハウスに着いたときはもうクタクタになっていたが、実はさらに深刻な問題が発生していた。
毎日かなりの速度で歩きさらに毎日濡れて冷たくなった靴を履いていたせいで、足の指の一部がつぶれて形がおかしくなってしまっていたのだ。そのため、足を一歩前に進めるたびに激痛に襲われていた。
予定ではあと三日かけてダンプスという、眺望のきれいな場所に寄ってからポカラに帰ることになっていた。しかし、この状態では後三日は持ちそうにない。僕は翌日にでも家のあるポカラに到着したかった。そのことをガイドさんに告げるとなんと「それは出来ない。」とあっさり断られてしまった。理由は、最初のスケジュールでダンプスに行くことになっているからその予定を変えることは出来ないとのこと。予定を変更して早く帰った場合、彼に支払われる給料が少なくなってしまうのだそうだ(今回のケースでは3日間分の給料が彼に支払われなくなってしまう)。彼らの給料は日給制。さらに仕事がありつけるのは、乾季でさらに積雪の少ないの九月からの三ヶ月のみ。それ以外の期間は、外国からトレッキングに来る人はほとんどおらず、村に帰って家族と暮らしているそうだ。その生活は決して楽とは言えない。だから、彼らにとってはお金を稼ぐためにも一日でも僕もトッレキング期間が長いほうがいいのだ。とは言っても、僕の足はあと三日間も歩き続けることは出来ない。二時間の討論の末、三日分のお金は支払うという条件で翌日ポカラに帰ることを了承してもらった。そして翌日、二日分の道のりを十時間歩き、ようやくポカラに到着した。
いきなりヒマラヤトレッキングの厳しさを教えられた初日、雨で寒さに凍えた3日目と4日目、これまでの人生で見た景色の中で最も美しいABCからのヒマラヤ山脈、足がつぶれ変形してしまった5日目、帰宅日をめぐるチョックラさんとの激論。今思い出すと、決して楽なトレッキングではなかったが感動と思い出の深い旅だった。何よりも、ずっと共に行動し、アドバイスをくださり、感動を分かち合ってくださったチョックラさんには心から感謝したい。チョックラさんがいなければABC到達は難しかったと思う。ガイドさんというと日本の人が聞くとよそよそしい印象を持つかもしれないが、チョックラさんと僕は年の離れた仲良しの友人のような感じで、ネパールのことや人生の楽しみ方などたくさん教えていただいた。
最後に、僕は今回のトレッキングで自然を大好きになった。それが一番の収穫だ。これからも自然にたくさん触れ、身の回りにある自然を大切にしていきたい。
こうして僕の6日間のABCへの旅は終わった。
コメント
コメントを投稿