アンナプルナ・ベースキャンプトレッキング
<3日目、4日目>
ひらすら登り続ける二日間、標高が上がるにつれ空気も薄くなりすぐに息が上がる。高山病にかかり途中で苦しそうに引き返す人ともすれ違った。このときの感覚は言葉では表現するのが難しい。でも、「楽しい」という表現はふさわしくない。自分と戦いながらただひたすら黙々という感じか。
言葉を失う美しさ。 |
ABCに後二時間で到着というところで、僕の今後の人生を大きく変えることになるかも知れない場面に遭遇する。突然目の前に現れたものすごい景色。生まれて初めてみるような絶景だ。川沿いの道。川の両端には6000m級の岩山がそり立っている。ただそれだけ。天候が悪く写真でみるような美しいヒマラヤの景色はない。でも僕にとっては鳥肌が立つような感動の景色であった。この場所がなぜ僕の心を大きく動かしたのだろうか。その時は冷静に考えることができなかったが、振り返って思うに、あの場所には人間の手を全く加えていないの純粋な自然があったのだ。建物や電線、看板などがないのはもちろんのこと、それ以外にも人間が自然に手を加えた形跡が一切ない。ずっと昔、もしかしたら何千年も前から変わっていないのかもしれない。そんな自然の景色が果てしなく遠くまで続いていて、僕の心の中は一瞬空っぽになってしまった。そして、なぜかいきなり思った。「仏教徒になろう。出家しよう。」と。
もともと僕は神を信じたことなどなかった。それなのにどうしていきなりそんなことを思ったのか、あまりの唐突な衝動に自分でも驚いた。でもおそらく、仏教というのものは自分自身について考えるものであることが最近わかってきていて、これを機に自分自身に真剣に向き合ってみても良いかなと思ったからだだと思う。
しかし、トレッキングから帰り、今冷静によく考えてみて、今の自分には特定の宗教に偏ることはふさわしくないという結論にいたった。もともと僕は宗教に興味があり、特にネパールで暮らしていると、日本とは全く違う文化に直面し、様々と刺激を受けた。また、宗教(ネパールはヒンズー教信者が多い)によってここまで人の考え方や行動が異なるということも分かった。ちなみに僕の母国の一つドイツはキリスト教国である。そういうことも含め、僕はこれからも様々な宗教について偏りのない自分の意見を持ち、無宗教でありたいと思った。
(続く)
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