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ヒマラヤ山脈(アンナプルナベースキャンプを目指した)への過酷な登山から学んだこと。作文


 以前、何回かに分けて投稿した、アンナプルナベースキャンプに行ったときについて書いた作文を一つにまとめました。
今回もまた相当長いですが、ぜひ読んでください!


 僕がアンナプルナ・ベースキャンプ(通称ABC)に行ったのは、言うまでもなく美しいヒマラヤ山脈を目の前で見てみたかったからだ。ネパールで様々な人からトレッキングについてのお話を伺い、自分の足でABCに行くことを決意した。僕の人生ではじめての本格的な山登りになる。今振り返って考えてみると、出発前は不安な気持ちがとても強かった。一番大きな不安は全くの未知の世界に行くことに対する畏れだったと思う。登山ガイドさんが同行してくださるとはいえ、一人でヒマラヤの山の中奥深くに入ることにはかなりの度胸が必要だった。さらに、高山病などの体調面の心配もあった。これまでにヒマラヤ登山を試み、途中で高山病で苦しんだ人の話しをよく聞いて来たし、ヘリコプターで搬送されて戻って来た人も見てきた。周囲には「大丈夫だよ」と余裕の顔をしていたが、心の中では弱くなりそうな自分と必死に戦っていた。
 今回ガイドをしてくださったネパール人の方はトレッキングガイド暦10年以上の大ベテランだ。手続きで初めてお会いしたとき、やさしく強そうな方でそれがせめてもの救いだった。英語も話せる方だったので、ネパール語でわからなくなったときには英語でコミュニケーションもできたので楽だった。日本人は日本語ガイドをつけるのが普通なのに君はすごいね、と皆に言われ少し嬉しかった。
 ガイドさんに言われるままに荷物をまとめ、いざ出発当日を迎えた。

 ポカラをガイドのチョックラさんとタクシーで出発し、スタート地点へ。そしてついに人生初のトレッキングがスタートした。最初の2時間は平地で予想外に楽だった。僕は「トレッキングはこの程度のものか。楽勝だ。」と軽く考えながらさっそうと早足で前に進んでいく。体調もすごくいい。しかし、ヒマラヤはそんなに甘くはないということを、その後、次第に気付かされることとなる。
途中にはこのような橋もある。足を滑らせたら川に落ちて流され・・・。
ようやくガンドルックに着いた(歩いている途中、写真を撮る余裕などほとんどなかった)。
  しばらく歩くとものすごく急で果てしなく長い階段が目の前に現れた。この階段、登っても登ってもいつになっても終わらない。その日の目的地のガンドルックにようやく到着したときはもうクタクタで、考えることすらできない状態になってしまっていた。このトレッキングに備えて体力作りをしてきたつもりであるが、まったく不十分だったようだ。到着後は、村の中をすこし散策したり、ストレッチをしたりしながらただ、ボーっと過ごした。

 前日は疲れ果て体力の限界を感じたが、一晩よく寝て少しは元気になった。「今日もまた気を引き締めてがんばるぞ~!」と張り切って登り始める。しかし、前日同様、すごくきつかった。上って下ってを一時間ずつ繰り返す。一番きつかったのは最後の十分。下りの階段だ。山登りをやる人なら分かると思うが、上りはもちろん息が切れてきついが、下りというのは違う意味でかなり疲れる。筋肉が疲労しているときにずっと下り続けると腿がガックガクになってしまうのだ。さらに足を滑らせると終わりなので集中力を切らすわけにもいかない。当時の日記にも書いてあったが、もう無理!ってくらいきつかった。
この旗がある場所には仏教徒が住んでいる。

 この日はチョムロンという村で宿泊。前日の村(ガンドルック)もそうだったが、僕がこれまで訪れてきたネパールの村とは大違いで、ライフラインが整備されていて各家庭にテレビもあり、建物も立派だった。おそらく外国人客が多く訪れるため、裕福なのだろう。

 この村の標高は2140m。だいぶ寒くなってきた。ゲストハウスの宿泊客は僕とガイドのチョックラさんだけだ。そのため、ゲストハウスの方々はゆとりがあり、ずっと僕らの話し相手になってくれた。ネパール語ができるとこちらの人々の考え方がよく理解できて便利だ!

 ひらすら登り続ける二日間、標高が上がるにつれ空気も薄くなりすぐに息が上がる。高山病にかかり途中で苦しそうに引き返す人ともすれ違った。このときの感覚は言葉では表現するのが難しい。でも、「楽しい」という表現はふさわしくない。自分と戦いながらただひたすら黙々という感じか。

言葉を失う美しさ。

 ABCに後二時間で到着というところで、僕の今後の人生を大きく変えることになるかも知れない場面に遭遇する。突然目の前に現れたものすごい景色。生まれて初めてみるような絶景だ。川沿いの道。川の両端には6000m級の岩山がそり立っている。ただそれだけ。天候が悪く写真でみるような美しいヒマラヤの景色はない。でも僕にとっては鳥肌が立つような感動の景色であった。この場所がなぜ僕の心を大きく動かしたのだろうか。その時は冷静に考えることができなかったが、振り返って思うに、あの場所には人間の手を全く加えていないの純粋な自然があったのだ。建物や電線、看板などがないのはもちろんのこと、それ以外にも人間が自然に手を加えた形跡が一切ない。ずっと昔、もしかしたら何千年も前から変わっていないのかもしれない。そんな自然の景色が果てしなく遠くまで続いていて、僕の心の中は一瞬空っぽになってしまった。そして、なぜかいきなり思った。「仏教徒になろう。出家しよう。」と。
 もともと僕は神を信じたことなどなかった。それなのにどうしていきなりそんなことを思ったのか、あまりの唐突な衝動に自分でも驚いた。でもおそらく、仏教というのものは自分自身について考えるものであることが最近わかってきていて、これを機に自分自身に真剣に向き合ってみても良いかなと思ったからだだと思う。
 しかし、トレッキングから帰り、今冷静によく考えてみて、今の自分には特定の宗教に偏ることはふさわしくないという結論にいたった。もともと僕は宗教に興味があり、特にネパールで暮らしていると、日本とは全く違う文化に直面し、様々と刺激を受けた。また、宗教(ネパールはヒンズー教信者が多い)によってここまで人の考え方や行動が異なるということも分かった。ちなみに僕の母国の一つドイツはキリスト教国である。そういうことも含め、僕はこれからも様々な宗教について偏りのない自分の意見を持ち、無宗教でありたいと思った。

 ついにABCに到着。やっと着いた。つらかった・・・。この四日間のつらさはこれまでの人生で経験したものとは比較にならない。それだけに到着したときの達成感は大きく今でも決して忘れることができない。しかし、同時に僕は寒さに凍えていた。外の温度はマイナス。雪まで降ってきた。感動に浸るのもつかの間、すぐにゲストハウスに逃げ込んだが、ゲストハウスの人は暖房をつけてくれない。あれほど寒いと感じたのは生まれて初めてのことで「寒い」と言うこと以外に他のことは何も考えられなかった。その証拠に、その日だけは日記が書かれていない。歩行時間や現在地などの記録はしてあったが、それ以上は手が震えて上手く書けなかったように記憶している。ヒマラヤで亡くなった多くの人々はこれよりももっとひどい寒さに一人きりで必死に耐え、何とか生き延びようと苦闘し、しかしそれも叶わず凍死してしまったのだと考えると、この大自然の中では一人の人間など本当にちっぽけな存在にすぎないのだと思わざるを得なかった。


 ところで、ABC到着までの道のりで多くのつらい思いをしたが、実はこれは全て自分の準備不足が原因だ。まだ雨季のシーズンの登山。毎日の雨の影響で、行く道はどこも水がたまっていて、足首の少し下まで水没してしまうことが多く、毎日靴がビショビショに濡れていた。僕が履いてい靴は登山用ではなく普通のスポーツシューズ。これがこの旅の一番のミスだったと思う。僕以外のトレッカー、ガイドさん、そして村人までもがウォータープルーフ(水を通さない)のトレッキングシューズを履いていた。ヒマラヤを完全に甘くみていた。
この中で寒さと闘っていました。
 朝起きて、ゲストハウスを出発するときのあの凍っているように冷たいスポーツシューズ・・・。思い出すだけでも寒くなってしまう(笑)。
 そして、もう一つの大きな問題点は防寒対策だ。トレッキング会社の人には、この時期ダウンジャケットは要らないと言われたが、絶対にそんなことはない。ABCはマイナスの世界。絶対にダウンジャケットは必要だ。雨具を着ていても、雨水が中に浸み込みTシャツまで濡れてしまう(僕は毎日、濡れてものすごく冷たくなったTシャツを着続けるしかなかった)。もっと高所のゲストハウスもない所ならば、僕は恐らく凍え死んでいたと思う。次に行くときには防寒対策をしっかりしたい。
 
 寝袋と毛布2枚を体に巻いて部屋から外を眺めているが、山は曇っていて、一向に見える気配がない。毎日雨ばかりで、ガイドさんとは山が綺麗に見えるかどうかは分からないというような話をしてはいたが、ガイドさんの「俺がABCに行ったときに見えなかったことはない!だから安心しろ!はっはっは!」という言葉を信じてここまでがんばってやってきた。それなのに・・・。そういえば、途中の道のりであったフィンランド人のグループの人たちは、四日間ABCに滞在したが一度も山が見えなかったらしい。


 しばらく待ち、もう無理かもしれない、と思いながら外を見てみると!!なんと突然雲が晴れて山が見えてきたのだ。山の全てが見えたわけではないが、そのときは「ああああああああ~~~~!!!!!山が!!!あああああああああああああ!!!!!!!!」という感じだった。興奮してただ叫び続けていた。
 それもそのはず。あそこからの景色は「世界中のトレッキングの景色ベスト10」に選ばれているのだ(最近知った)。あそこまで美しい景色を見ることが出来るのは、この先の人生でそんなに多くないだろう。
 僕が想像していたそこからの景色は、大きなヒマラヤ山脈。しかし、実際の景色はそんなものではなかった。文字通り、僕はヒマラヤ山脈の麓に来ていたのだ。目の前に聳え立つ白い巨大な山々、僕はここに来れてよかったと心から思った。それと同時に、自然の偉大さに圧倒された。
 ゲストハウスの食堂の壁には様々な国籍の人々の顔写真が飾ってあった。ここを訪れた人々は、記念に写真を貼っていくのだ。その写真の中に、三人の韓国人の登山家の写真もあった。彼らは、ヒマラヤ山脈の一つの山の登頂を目指して、ABCにやってきた。しかし、彼らはその数日後雪崩によって命を落とした。僕がABCにいた間にも遺体捜索が行われていたが、いまだに見つかっていない。
 偉大な登山家たちの多くがABCに訪れ、そしてその先の道のりで命を落とした。。彼らが命を賭けてまでその美しい山々に登るその理由を、僕は少しばかり分かったような気がした。それだけの魅力がここにはある。
 ゲストハウスの裏にある谷から、「ごろごろごろ~~~~」という音が数分おきに聞こえてくる。この音は、雪崩や崖崩れの音だ。実際に目の前で起こっているその自然のいたずらに僕は言葉を失った。人間というものがいかに無力であるかということが分かった瞬間だった。いくら文明が高度に発達しようが、人間は自然に勝つことは出来ないということを実感した。
 ABCの魅力というのは、壮大なヒマラヤ山脈の景色だけではなかった。夜の満天の星空も僕を驚かせた。中学2年の夏休みに行ったモンゴルの星空もすごかったが、それに劣らず美しかった。数え切れないくらいの星は、夜は暗いということをも忘れさせてくれるくらいだった。実際にその場にいないで想像するのは難しいと思うが、理科の教科書に出てくる満点の星空の写真よりも数段すごいと言えば、なんとなく分ってもらえると思う。それほどまでに美しい。
 翌日は、早朝に下山を開始する。星空を存分に楽しみ、早々と眠りについた。

チョックラさん、ありがとうございました。

 壮大なヒマラヤと星空の感動に浸った翌朝は、7時前にはABCを出発した。この日はなんと十時間も歩き、往路でABCに向かうときに二日かけた道のりを一日で稼いだ。ゲストハウスに着いたときはもうクタクタになっていたが、実はさらに深刻な問題が発生していた。

 毎日かなりの速度で歩きさらに毎日濡れて冷たくなった靴を履いていたせいで、足の指の一部がつぶれて形がおかしくなってしまっていたのだ。そのため、足を一歩前に進めるたびに激痛に襲われていた。
 予定ではあと三日かけてダンプスという、眺望のきれいな場所に寄ってからポカラに帰ることになっていた。しかし、この状態では後三日は持ちそうにない。僕は翌日にでも家のあるポカラに到着したかった。そのことをガイドさんに告げるとなんと「それは出来ない。」とあっさり断られてしまった。理由は、最初のスケジュールでダンプスに行くことになっているからその予定を変えることは出来ないとのこと。予定を変更して早く帰った場合、彼に支払われる給料が少なくなってしまうのだそうだ(今回のケースでは3日間分の給料が彼に支払われなくなってしまう)。彼らの給料は日給制。さらに仕事がありつけるのは、乾季でさらに積雪の少ないの九月からの三ヶ月のみ。それ以外の期間は、外国からトレッキングに来る人はほとんどおらず、村に帰って家族と暮らしているそうだ。その生活は決して楽とは言えない。だから、彼らにとってはお金を稼ぐためにも一日でも僕もトッレキング期間が長いほうがいいのだ。とは言っても、僕の足はあと三日間も歩き続けることは出来ない。二時間の討論の末、三日分のお金は支払うという条件で翌日ポカラに帰ることを了承してもらった。そして翌日、二日分の道のりを十時間歩き、ようやくポカラに到着した。
 いきなりヒマラヤトレッキングの厳しさを教えられた初日、雨で寒さに凍えた3日目と4日目、これまでの人生で見た景色の中で最も美しいABCからのヒマラヤ山脈、足がつぶれ変形してしまった5日目、帰宅日をめぐるチョックラさんとの激論。今思い出すと、決して楽なトレッキングではなかったが感動と思い出の深い旅だった。何よりも、ずっと共に行動し、アドバイスをくださり、感動を分かち合ってくださったチョックラさんには心から感謝したい。チョックラさんがいなければABC到達は難しかったと思う。ガイドさんというと日本の人が聞くとよそよそしい印象を持つかもしれないが、チョックラさんと僕は年の離れた仲良しの友人のような感じで、ネパールのことや人生の楽しみ方などたくさん教えていただいた。 
 最後に、僕は今回のトレッキングで自然を大好きになった。それが一番の収穫だ。これからも自然にたくさん触れ、身の回りにある自然を大切にしていきたい。
 こうして僕の6日間のABCへの旅は終わった。


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